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独男のワシも考えた。

2010年08月14日 14:14

流血事件

20100813_bl_01_01
若干24歳の書家、金澤翔子の書「風神 雷神」。京都建仁寺蔵、国宝の「風神雷神図屏風」の隣に飾られている。書道なんて興味も無ければ全く判らない頭の持ち主のおいらこと独男であっても、何かに惹かれてしまう「風神 雷神」の書。

 
8月12日(木曜)の午前10時前頃。
8時過ぎには臨時事務所に出社して、監視カメラから送られてくる改装現場の映像を睨みつつ、もう1台のアナログモニターも眺めながら仕事に励んでいた。10時を少し過ぎて、「やれ休憩ぢゃっ!」と1人で喜び雄叫びを上げつつダージリンを淹れているとドアをノックする音が聞こえ、そして「ちわ~!メールをお持ちしました~!」と言う威勢の良い声が事務所の中に響き渡った。
ダージリンを「ずずずぅぉっ」と音を立てて啜りながら臨時事務所内に設置した受付カウンターの様子を覗いてみたら、台風直撃の昨日においらの股間の愛くるしい分身を目にしてしまった例のアイツが立っていた。

「ずずずぅぉっ・・・ゴクロウサン」
紅茶のカップを片手にダージリンを啜りながら声をかけると、運送業者のにーちゃんは人の顔を見て驚き2~3歩後ろに下がって、「め、め、メールっす。ハンコと、この間の着払の請求書持ってきました」と小さく言った。机の引き出しからシャチハタを取り出すと、"独男の必殺スーパーシンカーを受けて見やがれっ!"と思いっきり投げつけた。が、腹立たしい事にコヤツは顔色も変えず普通の表情のまま、サッと左手を構えて「パッシーン!」と受け取りやがった。そして受け取った直後、こっちを見て一瞬ニヤリと笑いやがった。
・・・悔しいっすっ!!!


着払料金¥3,290円を渡すと、コヤツは「ありっしたー!」と明るい表情で去っていった。
"クヤシーやら腹立たしいやらっ!!コンクリ抱かせて博多湾に放り投げてやりてぇええっ!"そんなデンジャラスな事を考えながらメール便のパッケージを開封してみると、数枚の写真とノートの切れ端1枚、それとDVDが1枚入っていた。
ノートの切れ端にはA美の字で「お疲れ様です。そちらの状況は如何ですか?こっちは相変わらずで、先週末に皆で海に遊びに行きました。それとべるさん独男の好きなアンビリバボーを録画したものを圧縮して、DVDに焼いておきました」等と書かれていた。

「おー、それは有難や」
独り言でお礼を呟き、写真を手にとって眺めていたら後ろの方からA美のビキニ姿の写真が数枚出てきて、ジッと観察してたら突如の流血(鼻血)。
「水着の下が透けて見えやがれっ!」と頭に血を上らせつつ写真に向けて"エロ気"を送り続けた事が原因なのか、単にご無沙汰過ぎて血やら自分のエロスが溜まり過ぎていたからなのか、それとも両方が同時に作用したのかは不明であるが、昼近くに弁当を買いにコンビニに赴きレジで金を払おうとした瞬間にも、「ぽたたたた・・・っ!」とカウンターに流血事件再び。そろそろ死に掛けてる?



ダウン症の天才女流書家と昔に見かけた母子
8月12日(木曜)の13時頃。
コンビニ弁当を片付けてA美の携帯を鳴らしてお礼を伝え、送られてきたDVDを監視カメラ管理用のPCに突っ込んだ。監視カメラからの映像を表示している窓の隣にアンビリバボーの動画の窓を並べて表示させ、仕事用のモニターと監視カメラの映像、それとアンビリバボーの動画の3つを順番に眺めながら仕事に取り掛かった。
"奇跡体験!アンビリバボー"の7月の最初の放映分からちょこちょこと早送りしながら眺め、東海地区で7月22日の晩に放映された後半の「ダウン症の天才女流書家」を見て、"凄いな、良かったな"なんて思っていた。

最近何かと凄惨極める事件が、やたら目に付くような気がするとも思った。
つい最近では「幼児2名を放置・餓死させた若き母親」の事件がニュースで連日流されたり、人をバラバラにして遺棄するとか、我が子を虐待し挙句、幼い命を奪ってしまったというニュースが流れたり、独男ことおいらの頭の中では理解出来ない恐ろしくも悲しい事件が多いように感じたり。今年の春には今自分が出張って来ている福岡の博多湾にバラバラにされて遺棄された女性の亡骸が見つかったりと、実は先日ショットガンを連れて博多湾を眺めながらランチを食している時にも、酷い事件があったものだと、自分の幼い子供の命を奪ってしまうとか理解出来ん!と考えたりしていた。


20数年前、独男ことおいらは社会人になって数ヶ月経った頃、某メーカーに出向させられた事は以前にも書いたが、もう少し細かく書くと、某メーカーが医療業界のみをターゲットに興した事業部の、その中の第xx営業部に出向させられていた。出向させられて数年経った頃、自分の下に部下として就いた若いヤツを自分が担当していた各医療施設と府県市町村の保健課等の担当者に、紹介して回ったことがあった。大阪府下の医療施設を数軒回った後、その日最後の訪問予定の某大学病院に寄り、院内のだだっ広い待合ロビーのベンチで「ふぅーっ」と一息ついて休憩していた時、自分達2人の左後ろ隅の壁に沿って設置されている長椅子に、美人顔の女性が腰掛けているのを見つけてしまった。

雑誌の下からコソッと覘くと、その女性は酷くヤツレタ顔で虚ろな目のまま宙を眺めていた。
点滴のパックが3つもぶら下っているスタンドが勝手に動かない様に左手で掴み、左手のやせ細った指には金色に輝く結婚指輪を填めて、自分の隣に変った模様の座布団を置いていた。
-綺麗なのに可哀相に、ノイローゼとかかいな。
そんな勝手な事を考えながらトイレに行こうと立ち上がって、何気にヤツレタ美人顔の女性に眼をやったら、座布団と思っていた敷物は、眼球だけボッコリと飛び出し他の部位は全部が1~5cm位の厚みにペッタンコになった4~8歳くらいの男の子の姿であった。そしてようやく、彼女はその子の母親である事に気づいた。点滴のパックから伸びているチューブは途中で1本に纏められて、そのペッタンコな男の子の腕に挿してあった。


ヤツレタ美人顔の母親はこちらの視線に気づいて顔を上げ、力無く笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て強烈な衝撃を受けた。「くる病」とか「先天性骨形成不全症」という病名が浮かんだが、そのどちらの症状をも軽く超えて頭蓋骨から足の指の骨に至る全ての骨の硬度が無くなったか、骨そのものが消えてしまっている様にしか見えず、ペッタンコな男の子は完治どころか生きているのが不思議な状態としか言い様が無いように見えた。しかしその母親は疲弊しヤツレ切ってしまっているにも拘らず笑顔を繕ってこちらに返し、そんな母親の底力と愛情の大きさに感動して泣きそうになって"自分には到底真似出来ない"、そう思った。

その後、毎月開催される定例会に出席しにその大学病院を訪れる度、同じ様な子供連れた母親を何人か見かけて胸の奥に痛みが走った。



■バツイチ独男のワシも考えた。
金澤翔子氏の母親も、ダウン症を患って産まれてきた我が子を憂え苦悩に満ちた生活を送っていた。
放送された番組の中で、「能や書道を嗜み知的な世界に生きてきた金澤翔子氏の母親は、我が子が知的障害というハンデを背負っているという事実はあまりに過酷・・・」というナレーションが流れ、思いつめていた当時の母親の心境が記された日記を映した。その日記には、産まれたばかりの我が子の首を「今ならまだ間に合う。首を絞めて・・・明日には、と思いながらも翌日へ。そらに翌日へと1日ずつ伸ばしていく自分が~」とか書かれていた。
それは知的な世界で生きてきた母親のエゴではなかろうか?そう感じて苛つきながら画面を眺めた。

しかしその後、金澤翔子氏の母親の考えは大きく変わっていく。
夫からの暖かい言葉と、ダウン症を患っている我が子がある日突然歩き出し、そして両親が投げかける言葉の意味を理解し始め知恵が芽生えだした事を知り、それらが母親の心の中に僅かな希望の光となって親子として接していくようになる。
ダウン症により幼稚園の入園を断られていた我が子に、母親は同い年の友達を作ってあげたいと考えて書道教室を開き参加させた。そして金澤翔子氏は、書家としての道を歩み始めた。
数年前に他界してしまった父親の夢でもあった彼女の初めての個展は大盛況に終わり、個展が終わったその後も金澤翔子氏の書「風神雷神」は京都建仁寺蔵、国宝の「風神雷神図屏風」の隣に飾られている。


母と娘の強い絆のドキュメンタリーを観て、良い話だなと感動した。
普通の子供とどこか違う子供を授かった経験が無い自分には解り得ない、はかり知れない苦悩と苦労と、自分が愛娘に抱いている愛情よりも遥かに大きな愛情を持って接し育てた結果の様に思えた。
しかし同時にこの物語の場合は、ダウン症を患って産まれてきた我が子に、普通の子供よりかはペースが遅くても歩く事が出来て知識も芽えた出した事を、親が気づけたから成し得たのではなかろうかという疑問も沸いてきた。随分昔に大学病院の中で度々目にした、ペッタンコになってしまった子供を授かっていたら、どうなのであろう?

ダウン症の子供を授かった場合よりか、更に遥かに過酷な毎日が続くのではなかろうか。
歩く事も出来ず何か反応が返ってくるわけでもなく、自分で食事を獲る事も出来ずに点滴のパックから送られてくる栄養分だけで辛うじて心臓を鼓動させている、小さく儚い命。そんな小さな命を、自分の命を削るかのように世話を続けるヤツレタ母親。
そんな事を考えながら、「幼児2名を放置・餓死させた若き母親」の母親に怒りが込み上げてきた。必死に我が子の介護を続け通院する母親がいれば、ダウン症の我が子をなんとか立派に育て上げようとしている母親がいたり、その一方でマンションの部屋の中に子供を閉じ込め放置して死に至らしめる母親がいたり。


「幼児2名を放置・餓死させた若き母親」は何が原因でそんな事に至ってしまったのか。
そんな悲しいニュースをわざわざ追いかけたくもなく、新聞記事やニュースに続報のようなものが流れると目を逸らしているので知りもしないが、古き良き時代の母親ならばまずは自分の命を絶って我が子の世話は心優しき誰か他人に任せていた筈である。それでも十分身勝手な話ではあるが、悲しい過去を引きずりつつも将来の日本を担う若い力へと育ってくれた筈である。
そう考えながらも、身勝手な大人の端くれであるおいらこと独男は、離れて暮らす事になってはしまったものの普通の子供と変わりなく産まれてきてくれた愛娘と、そんな愛娘を産み落としてくれた元ヨメにちょっと感謝し"満足すべきなんだよな"なんて考えていた。



■小さな命を実感した瞬間(とき)
10数年以上も昔、長年付き合った彼女と結婚した。
結婚して1年と経たない内に小さな命を授かり、日に日に大きくなっていくヨメの腹を見て「不思議だなぁ」と言いつつヨメのお腹を撫でたりしていた。そんなある晩、ヨメから「お腹の子に話しかけてあげてよ」と言われてノートを丸めた急造メガホンを用意すると、それをヨメの大きな腹に付けて「お父さんですよー」とか言ってみた。が、ヨメのお腹の中の小さな命は何の反応も返してこなかった。
ならばと、頭の記憶の隅にオボロゲながらに残っていた"インディアンが通る"という、童謡なのか何なのかよく判らない歌を歌ってみた。すると、ヨメが仰け反り暴れて痛がる程に小さな命はお腹の中で大暴れしたようで、ヨメは「ちょっとその歌やめてー!」と泣きながら絶叫していた。

ヨメが仰け反る様が面白くてその後、何回か"インディアンが通る"を歌ってみた。
歌いながら眺めるヨメのお腹の中で、宿った小さな命は暴れて突き挙げる手や足の形がわかるくらい、ホントに暴れていた。
「喜んでるのか?それとも怒っているのか?いつも腹の中に響いてくる母親のソレとは違う低い声が突然、響いてきて驚いたのか?」ヨメに聞いてみたが、ヨメは兎にも角にもって感じで「お腹の中がほんまに痛いから、その歌は止めてや」と、目に涙を溜めながらヨメは言った。「了解」と答えつつ翌日の晩も"インディアンが通る"を歌った。なぜならば、ヨメの腹の中の小さな命が自分の声に反応を返してくれた事に嬉しさを感じ、反応を返してくれた事でやっと"子供を授かった"という実感が沸いてきたから。


それから数ヵ月後のある日の夜中、トイレで破水したヨメが「タクシー呼んで」と叫んだ。
慌ててタクシーを呼んで嫁を担ぎ乗せ、ヨメが雑誌で吟味し入院の予約を入れていた産婦人科に向かった。分娩室に入ってヨメがベッドに横になったが、その隣には我が子を産み落とすべく前日の晩からずっと「うぅーん」と唸り続ける別の妊婦がいた。
「生まれたらお呼びします」とナースに言われて喫煙室に移動すると、今日で最後と誓ったタバコを1本取り出し火を点けて「母子共に五体満足で健康でありますように」と、呪文のように繰り返しながら唱えた。するとタバコに火を点けまだ2口しか吸い込んでいないのに、「お生まれになりましたよ。元気な女の子ですよ」とナースが呼びにきた。

分娩室のベッドに横になって僅か10分足らずという、恐ろしいほどビックリなチョー安産出産。
分娩室に駆け込んで産まれたばかりの我が子を抱き上げると、赤ん坊を取上げてくれた院長先生自らがデジカメを構えて「写真撮りますよ」と言った。そこで初めてホッとして、嫁の頭を撫でながら「ご苦労様」と声をかけた。
2ヶ月が経ち愛娘を抱かかえたヨメが帰ってきて数ヶ月間は、あんな恐ろしいほどの安産で逆に娘のどこかがおかしくなってやしないかと、気が気でないような日々を過ごしていた。
そんなある日の日曜の昼下がり。4ヶ月の後半に差し掛かっていた娘が突然掴まり立ちして危なげに歩き出し、ふらふらとこっちにやって来るなり「ばぁばぁ(パパ)」と口走って、床に寝転がって雑誌を眺めていた独男の顔を足で踏み抜いた。


-そんな事があったけど、痛いより飛び上がるほど嬉しかったよな。
昔の記憶を振り返りながら独り言を呟いて笑って天井を見上げるともう1度、普通の子供と変わりなく産まれてきてくれた愛娘と、そんな愛娘を産み落としてくれた元ヨメにちょっと感謝した。昔を振り返って笑えたり出来るって事は、辛い思いもあったけど今はそれなりに心のどこかで満足しシアワセなんかを感じる事が出来るからだろうな、なんて考えた。そして"自分のラブリーな小娘は今、何してるのかな?"と思って娘の携帯を鳴らしてみた。
すると、「今、まみちゃんの部屋でゲームして遊んでるとこやねん。またかけ直すね」と言って、娘はブッツリ携帯を切った。むはっ。

仕事を終えてホテルに戻って愛娘からの着信を待ってみた。
が、待てど暮らせどかかってこない。"何やってんだ?"と思いつつコチラから携帯を鳴らしてみた。
べ:もしもしー?何時になったらかけてくれるんだよ。
娘:あ、おとーさん。今ね、まみちゃんと○○クンのところに遊びに来てるねん。
べ:もう20時過ぎだぞ。それに○○クンって男だろ!?
娘:友達やから、ええねん。
べ:何時までも男友達の家で遊んでないで、さっさと帰りなさい!
娘:だいじょぶ、だいじょぶ。じゃ、またねー。
べ:ちょっと、おいこら!待て!切るな!切るnjy・・・。
娘:プッ、プーッ、プーッ、・・・


電話かけるんじゃあなかったと、1人で酒をかっ喰らい酔い潰れて寝てしまったおやぢなのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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